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見たまま、感じたまま、思ったまま

子連れ狼



この作品は昭和46年から51年まで漫画アクション誌上で連載された、言わずと知れた小池一雄が原作を書いた劇画の最高峰、いや日本の劇画の中でも最高峰に属する不滅の名作である。
日本のみならず世界十数カ国とくにアジア諸国でも出版されてかなりの人気を博したそうだ。海外でのマンガの賞も受賞している。
「おしん」以上との声もある。
復讐物と言う物語の筋立ての面白さ以外に、昨日書いたように父と子の強い絆の物語としての部分が多くの人に受けた理由であろう。

昨年12月より週刊ポスト誌上で第2部の連載が開始された。
第1部(と、言って良いのかどうか)の最後、拝一刀と柳生が共に倒れて大五郎ひとり残された場面からの開始である。
これも連載が終了して既に20年以上経っているはずである。今更また復活と言うのも、根強いファンが多いのだろう。そういう僕だって、オークションを駆使して昨年全28巻を揃えたのだ。うちの配偶者もそれをかかりっきりで、丸1日かけて読破していた。

第2部はもとの作画者である、小島剛夕が既に他界してるため、森秀樹の絵になるが、絵もあらすじも含めて、今のところもう一つと言うところである。ムリに第2部作らなくても良かったんじゃないかと言う思いが強い。

子連れ狼と言うと、多くの方はテレビでの萬屋錦之助の拝一刀と、西川某の大五郎を連想するけど、テレビは所詮原作を越えられない。やはりあのばた臭くアクの強い錦之助よりは、劇画家小島剛夕の書く、ストイックな拝一刀であろう。あの割り箸ペンで書いたような力強いタッチが美しい。それに墨絵のような濃淡などは決してカラーの映像では出せない味である。

その小島剛夕は既に他界しており、今度の作画は、少年時代に子連れ狼のファンであり、「墨攻」を描いた森秀樹が受け持つそうである。ちょっと堅い感じがするが、絵の雰囲気は多少似ているかも知れない。

この話は、柳生の陰謀によって公職を追放され、お家全滅の憂き目にあった拝一刀が、その子大五郎と共に、刺客道という瞑府魔道に生きながら、柳生への復讐を果たさんとする物語である。

物語の終局、江戸町民、武士旗本、それに公方までが見守る中で、24時間を超える柳生烈堂との死闘の果て、ついに力つき果てた拝一刀。大五郎は地面に落ちた父の槍を拾い、烈堂めがけて突進していく。その子供の槍を烈堂はかわそうともせずに、槍に体を貫かせてそのまま大五郎を抱きしめる。そして「我が孫よ・・」とつぶやく場面が遠景でフェードアウトするように描かれて物語りは終わったのだ。

子連れ狼2


今、何故この作品が・・と自分なりに考えてみた。
復讐物と言う物語の筋立ての面白さ以外に、父と子の強い絆の物語としての部分が多くの人に受けた理由だと思う。
今のこの親子関係、家族関係が希薄になった時代に、敢えて強烈なこの物語をぶつけることによって、失われた父子関係が復活せんことを作者は望んでいるのかも知れない。

子連れ狼3



「大五郎、川は何処に流れつくぞ」
「海」
「うむ、川は海に注ぎて波となる。大きなうねりの波、小さなうねりの波、寄せてはかえし、くりかえし、くりかえして絶ゆることのない」
「人の生命もこの波と同じく、生まれては生きて、死んではまた生まれる」
「ほどなく、父の五体はもの言わぬ屍となろう。だが生命は波に同じく絶ゆることはない」
「来世と言う岩頭に向いて、また生まれ変わるべくうねっていく。五体は死んでも父の生命は不滅なのだ」
「お前の生命も然り。我らの生命は絶ゆることなく不滅なのだ。」
「皮破るるとも、血が噴くともうろたえるな。父の五体倒るるともひるむな」
「父の眼閉じらるるとも、その口開かるるともおそるるな」
「生まれ変わりたる次の世でも父は父、次の次の世でも我が子はお前ぞ」
「我らは永遠に不滅の父と子なり」




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